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東京地方裁判所 昭和56年(行ウ)143号 判決

原告

糸 川   孝

右訴訟代理人弁護士

安 田 好 弘

被告

東京都公安委員会

右代表者委員長

安 西   浩

右訴訟代理人弁護士

山 下 卯 吉

竹 谷 勇四郎

高 橋 勝 徳

右指定代理人

南 條 勝 利

外四名

被告

東京都

右代表者知事

鈴 木 俊 一

右指定代理人

河 野 廣 三

加 藤 和 樹

主文

一  被告東京都公安委員会が原告に対し昭和五六年六月二六日付けでした自動車運転免許(免許証番号三〇七九〇〇九五九三一号)の取消処分を取り消す。

二  原告の被告東京都に対する請求を棄却する。

三  訴訟費用は、原告に生じた費用の二分の一及び被告東京都公安委員会に生じた費用は被告東京都公安委員会の負担とし、原告に生じたその余の費用及び被告東京都に生じた費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主文一項と同旨

2  被告東京都は、原告に対し、一一五八万円及びこれに対する昭和五六年六月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  2、3につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  被告東京都公安委員会

(一) 原告の被告東京都公安委員会に対する請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

2  被告東京都

(一) 主文二項と同旨

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

(三) 担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  被告東京都公安委員会(以下「被告委員会」という。)に対する請求原因

(一) 運転免許の取消

原告は、昭和五四年一月二三日、免許証番号三〇七九〇〇九五九三一号、免許の種類第一種普通自動車の運転免許(以下「本件免許」という。)を受けた。

(二) 行政処分の存在

被告委員会は、昭和五六年六月二六日、原告に対し、道路交通法(以下、単に「法」という。)一〇三条一項により原告が法八八条一項二号の精神病者(精神分裂病者)であることを理由に本件免許の取消処分(以下「本件処分」という。)をした。

(三) 不服申立ての経由

原告は、昭和五六年八月一七日、被告委員会に対し、本件処分に対する異議申立てをしたところ、被告委員会は、同年九月一八日付けでこれを棄却する旨の決定をし、同決定の決定書(謄本)は同月二四日原告に送達された。

(四) しかし、本件処分は違法であるので、本件処分の取消しを求める。

2  被告東京都(以下「被告都」という。)に対する請求原因

(一) 請求原因1の(一)及び(二)のとおり。

(二) 違法行為

(1) 原告は精神分裂病者ではない。

(2) 本件処分は、被告委員会から法一〇四条四項の指定を受けた医師清水信(以下「清水医師」という。)がした原告を精神分裂病とする診断に基づき行われたものである。

ところで、精神分裂病を含む精神病の診断においては、問診が極めて重要なものであるが、その問診に当たり、医師は、診断の目的を十分に理解した上で、被診断者に医師を必要としかつこれを信頼する関係、すなわち医師と患者との関係にできる限り近付ける必要がある。

しかるに、清水医師は、原告の臨時適性検査を行う際、同検査を受けることの意味が原告にとっては運転免許の取消しにつながる場であるのに、運転免許の取消しを免れる救済の場であると誤解し、そのため、原告に対し問診を始めるに当たって自己紹介はもとより精神鑑定を行うことも告げず、原告との関係を医師と患者との関係に近付けることに失敗し、その結果、問診によって十分な資料を収集することができないこととなったとともに、原告がその際に運転免許の取消しを回避するために清水医師に対して警戒的になり、あるいは拒否的、敵対的態度をとったことを正確に理解せず、その態度を精神分裂病の病像としての感情の疎通性の欠如としてとらえ、異常行動の存在、妄想の存在があるという誤った判断に至るなど得られた資料についても誤解し、またその他の資料の収集も不十分となり、あるいは、必要な検討を欠くことになったものである。

このような過失により、清水医師は、誤って原告を精神分裂病と診断し、その診断に基づき被告委員会をして事実を誤認させ、本件処分に至らせた。

(3) 被告委員会の委員は、運転免許の取消処分をするときは、事実を正確に認識し、誤った処分をしないよう最善の注意をすべき義務があるところ、精神病の診断が往々にして誤ることがあり、精神衛生法(題名は、昭和六二年法律第九八号により精神保健法と改められた。)の規定にもあるように少なくとも複数の医師に診断させるなど、原告の診断に慎重を期すべきであったにもかかわらず、清水医師一人のみに診断させ、また、その診断の経緯、根拠を調査する等診断結果の正否を検討せずに、漫然と清水医師の誤まった診断を採用した。さらに、同委員は、本件処分をするにつき聴聞の手続を経れば、原告から同人に有利な証拠の提出を受け、清水医師の診断を再検討でき、同医師の診断が誤りであることを発見し得たにもかかわらず、聴聞手続を省略した。

このような過失により、同委員は、原告が精神分裂病者に該当すると誤認し、同委員会として本件処分をした。

(三) 責任

被告委員会の委員は被告都の公務員であり、清水医師は被告委員会から法一〇四条四項の指定を受けて同被告の公務に従事した者であって、被告都は右の者らに対する俸給、給与等の費用負担をする者であるから、国家賠償法一条一項又は三条一項に基づき、右の者らがした右(二)の(2)及び(3)の違法行為により原告が被った損害を賠償する責任がある。

(四) 損害額

(1) 原告は、本件免許を取得してから自動車の陸送を業とする有限会社伸興の下請を業としていたところ、本件処分によりその職を失い、以後まともな仕事に就けず、生活保護を受けて生活をしなければならなくなったほか、いさかいのあった家族から自立した生活を送ろうとした生活設計を完全に破壊され、さらに、精神分裂病であるとの烙印を押され、これらにより多大の精神的苦痛を被ったが、これを金銭に換算すると一〇〇八万円を下らない。

(2) 原告は、原告訴訟代理人に対し、本件訴訟の追行を委任し、その報酬として一五〇万円を支払う旨約した。

(五) よって、原告は、被告都に対し、本件処分により原告が被った損害一一五八万円及びこれに対する不法行為日(本件処分の日)の翌日である昭和五六年六月二七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  被告委員会

(一) 請求原因1の(一)ないし(三)の事実は認める。

(二) 同(四)は争う。

2  被告都

(一) 請求原因2の(一)の事実は認める。

(二) 同(二)について

(1) (1)の事実は否認する。

(2) (2)のうち、清水医師が被告委員会から法一〇四条四項の指定を受けた医師であること、同医師が原告を精神分裂病であると診断したこと、それに基づき本件処分が行われたことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。

(3) (3)のうち、被告委員会が清水医師の診断に基づき本件処分を行ったこと、本件処分を行うにつき聴聞手続を経なかったことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。

(三) 同(三)のうち、被告委員会の委員が被告都の公務員であること、清水医師が被告委員会から法一〇四条四項の指定を受けて同被告の公務に従事した者であること、被告都が右の者らに対する俸給、給与等の費用負担者であることは認め、主張は争う。

法に定める自動車の運転免許に関する事務は国の事務であるところ、地方自治法一八〇条の九第三項、同法別表第三の四の(六)で地方公共団体である被告都に機関委任されている事務であるから、同事務に係る行為につき国家賠償法一条一項による賠償責任の帰属主体となるのは国である。

(四) 同(四)の(1)は、原告が陸送業に従事していたことは認めるが、その余の事実は知らない。(2)の事実は知らない。

(五) 同(五)は争う。

三  被告らの主張

1  被告委員会

(一) 本件処分の経緯

(1) 端緒

① 警視庁石神井警察署(以下「石神井署」という。)の警ら課石神井派出所勤務の野田有信巡査部長及び池内猛巡査の両名は、昭和五五年七月一二日午後九時四〇分ころ、警視庁通信指令室から、練馬区石神井台三丁目七番で頭の変な人が暴れているとの一一〇番通報があったので至急調査せよ、との無線指令を受け、通報者の石川裕見子方に赴き、同人から事情聴取をしたところ、石川方に何かを投げこまれたが、それは石川方の前に住む頭の変な人の仕業である旨の訴えを受けた。

野田巡査部長らは、石川が訴えた者を調査するため、同所付近に居住する本橋貞治、本橋久子、山田幹夫らから事情聴取したところ、(ⅰ)頭の変な人に該当する者が原告であること、(ⅱ)原告は二年位前まで両親と同居していたが、時々発作を起こして両親に暴力を振るうため、両親は家出して所在不明であること、(ⅲ)原告は二か月に一度位、意味の分からないことを口走りながら隣家に投石をしたり、戸を叩いたり、大声で怒鳴り散らす等の行為をしていること、(ⅳ)原告の右の行為は五年位前から現在まで続いていること、などの説明を受けた。

② 野田巡査部長は、右の説明を受けた後、原告から直接事情聴取する必要を認め、同日原告方に赴き、原告と面談し、隣家への投石等の事実を尋ねたところ、原告は「俺は何もしていない。他人に迷惑をかけたことなど一度もない。」、「悪いのはやつらだ。俺はむしろ被害者だ。」等と述べ、怒鳴り出すこともあった。その際、原告は角材を左手で握り締め、身構えながら目は絶えず周囲を見回し、急に大声で怒鳴ったかと思うと次の瞬間下を向いて小声で訳の分からないことを口走るなどの異常な言動を示した。野田巡査部長は、原告の言動、原告宅の近隣者からの事情聴取の結果などから、原告を精神異常の疑いある者と考えた。野田巡査部長は、また、本橋久子から原告が陸送会社の運転手をしている旨聞いていたため、運転免許本部に原告の自動車運転免許の有無について照会したところ、原告が昭和五四年一月二三日に被告委員会から普通自動車の運転免許を受けていることが判明した。

③ 野田巡査部長らは、以上の経緯から、原告が法八八条一項二号の免許欠格事由に該当するとの疑いを持つに至り、精神障害者の保健所への通報事務を担当している石神井署防犯係において、原告の保護取扱いの有無について調査した。

右調査の結果、(ⅰ)原告は昭和五〇年一月二六日午前一〇時一〇分ころ、誰かから悪口を言われていると言って弟の部屋に駆け込み、これをなだめた母親に対し殴る蹴るの乱暴を加えた、との原告の家族からの一一〇番通報で臨場した石神井署員に保護され、同日、社会福祉法人多摩済生病院に入院したこと、(ⅱ)原告は、同年七月二〇日午後一時ころ、近所の者が悪口を言っていると言って家から飛び出した、との原告の家族からの一一〇番通報で臨場した石神井署員に再び保護されたこと、(ⅲ)原告は、昭和五二年六月一七日夜、母親に対し乱暴した、との原告の家族からの一一〇番通報で臨場した石神井署員の取扱いを受けたこと、(ⅳ)原告は、同年九月一一日午後三時三五分ころ、母親に対し乱暴をした、との原告の家族からの一一〇番通報で臨場した石神井署員の取扱いを受けたこと、(ⅴ)原告は、昭和五三年四月三〇日午前九時ころ、自宅内に石油をまいた上、これに火を付けるなどと言っていた、との原告の母親からの通報で臨場した石神井署員の取扱いを受けたこと、(ⅵ)石神井署防犯係員は、原告に右のような異常な行為が認められたため、同年五月一日、石神井保健所に通報したところ、同所員から、原告については同人の母親からの申告によってすでに把握しており、同保健所で以前に原告を病院に連れて行ったが、病院の医師と口論し、病院で受け付けてもらえず、また、治療薬も飲んでいないので、措置入院をさせるほかないと考えている旨の回答があったこと、などの事実が明らかとなった。

④ 以上のことから、野田巡査部長らは、原告が精神病者に該当するとの疑いを更に強め、石神井署における原告の取扱い状況及び調査の結果判明した事実等を「臨時適性検査該当者(精神病の疑い)の発見について」と題する書面で石神井署長に報告し、同署長は、右報告にある原告の異常な行動から、原告が法八八条一項二号に該当する疑いのある者と判断し、法一〇二条に規定する臨時適性検査の必要を認め、昭和五五年九月八日、右報告書を添えて、臨時適性検査事務を所管する警視庁運転免許本部長に通知した。

(2) 臨時適性検査の実施

① 運転免許本部長は、石神井署長からの通知を受け、昭和五六年三月一六日付けで、原告に対し臨時適性検査を実施する旨を通知した。原告は、同月二六日、運転免許本部に出頭した。同本部職員三田修四郎警部補(以下「三田警部補」という。)は、原告に対し、検査を受ける理由を説明した上、臨時適性検査通知書を交付した。

② 原告は、同日、右通知書で指定された東京慈恵会医科大学付属病院に出頭し、被告委員会が法一〇四条四項の規定によりあらかじめ指定した医師であり、かつ、精神衛生法一八条一項の規定に基づく精神衛生鑑定医である同病院精神神経科の清水医師の診察を受け、さらに、同年四月一五日、同病院において心理検査及び脳波検査を受けた。清水医師は、同年五月一一日、原告を精神分裂病と診断した。

(3) 処分の上申

① 運転免許本部長は、原告が臨時適性を受けるのとは別に三田警部補をして調査した結果、(1)原告が昭和五五年一一月一四日及び一五日の両日、東京都練馬区石神井台三丁目七番五号の山田幹夫宅及び石川清宅に投石したとして、同署の取扱いを受けていたこと、(ⅱ)原告が多摩済生病院の小松源二医師(以下「小松医師」という。)に精神分裂病と診断され、昭和五〇年一月二六日から同年九月九日脱院するまでの間入院治療を受け、その後は同病院において原告の治療はしていないこと、が判明した。

② 運転免許本部長は、以上の事実に基づき、原告が法八八条一項二号の精神病者に該当する者であると認め、法一〇三条一項による行政処分を行う必要があるため、昭和五六年六月二六日、石神井署長作成の臨時適性検査該当者発見(検査)通知書、野田巡査部長ら作成の「臨時適性検査該当者(精神病の疑い)の発見について」と題する報告書、三田警部補作成の照会結果報告書、運転免許本部安全運転学校差出しの原告宛通知書、原告作成の通知書受領書、三田警部補作成の臨時適性検査結果報告書、清水医師作成の診断書、小松医師作成の回答書、運転免許本部長作成の被告委員会に対する処分上申書を添付して、被告委員会に対し、原告の本件免許の取消処分を上申した。

(4) 本件処分

被告委員会は、昭和五六年六月二六日に開催した定例委員会において、原告に係る右上申を審査した結果、(ⅰ)原告の平素の言動が異常であること、(ⅱ)原告が小松医師に精神分裂病と診断され、昭和五〇年一月二六日から同年九月九日脱院するまでの間、多摩済生病院に入院していたこと、(ⅲ)原告が臨時適性検査を受けた結果、清水医師に精神分裂病と診断されたこと、などから、原告が法八八条一項二号の精神病者に該当する者と判断し、原告の本件免許の取消処分を決定し、昭和五六年六月二六日、原告に対し本件処分の通知書を交付した。

(二) 原告が法八八条一項二号に規定する精神病者であることについて

(1) 精神医学上の精神分裂病について

① 精神分裂病の特徴及び症状

精神分裂病は、躁鬱病と並ぶ二大内因性精神病の一つであり、発生頻度の高さ、病像の特異性、治療上の困難さなどから、精神医学会の臨床において、今日もなお最も重要な位置を占めている疾患である。精神分裂病は、人格、思考、感情、意欲、行動、興味及び他の人々との関係における基本的障害を特徴とする疾患であり、患者は現実から引きこもり、感情的不調和を示し、思考過程の特異な障害を示す疾患であって、その症状は多彩であり、妄想(患者の教育程度若しくは社会的背景にとって適切でない誤った信念を抱き、それに反する論理的証拠を挙げてもその信念をかえようとしない。)や妄想念慮などは精神分裂病の症状として掲げられるものである。

② 精神分裂病の経過

大部分の精神分裂病は、種々の程度の人格障害を示す欠陥状態に陥るものであるが、ある段階まで進行しその進行が停止したようにみえ、ある程度の症状を残しながらもそのままの状態で悪化しない例もあり、また、病状が悪化したり寛解したりを繰り返して、次第に欠陥状態が明らかになってくるものもある。

③ 診断基準

精神分裂病は、発生頻度の高さ、病像の特異性、治療上の困難さなどから重要な位置を占めている疾患でありながら、典型的な例を除外すると、臨床医の間にかなりの診断の幅が生ずる疾患であって、クレペリン、ブロイラー以来八〇余年間に多数の分裂病の疾患概念及び診断基準が呈示されてきてはいるが、それらに対しては未だ全世界的な合意を得る段階には至っていない。

(2) 法八八条一項二号の精神病者の概念

① 法が自動車を運転する者につき免許を有することを求めた理由は、自動車が不特定多数の者が交通の用に供する場所である道路を高速で通行する道具であることから、一般に自由に運転させることは道路を利用する人車に危険を及ぼすおそれがあるのでこれを防止するのみならず、進んでその交通の安全と円滑を図り、あるいは道路交通によって発生し又は発生することのある種々の障害を防止するため、一般人が自由に自動車を運転することを禁止した上で、右目的を達成するについて差し支えがないと認められる者につき特にその禁止を解除して運転を行うことができるとしたものである。法八八条一項各号の規定は、右目的に照らして運転適性が低く、運転免許を与えることが不適当と認められる者を列記して免許の基準を明らかにしたものである。

② 法八八条一項二号で運転免許を与えることが不適当とされている精神病者とは、精神に病的な異常があって、言動が正常でない者のことをいうと解されているところ、それがどの程度のものを指すのかについては必ずしも明らかではない。一般的には、同条の趣旨が右①のとおり道路交通の安全確保にある点に鑑み、その見地より、具体的な場合について社会通念に基づいて判断するよりほかはないものである。それ故、同号の精神病者とは、精神医学上の精神病者の概念を前提とするものの、必ずしもこれと完全に一致するものではなく、法の目的に照らし、被告委員会において、症状、生活及び行動の実態、事故歴等を勘案し、明らかに道路交通の安全と円滑を阻害する可能性が相当程度に存在すると社会通念上判断される者をいうものと解するのが相当である。

③ 自動車運転者が道路において自動車を運転する場合には、刻々変化する道路の状況、交通の状況に適確に対応し、その変化に応じて自動車を安全に運転しなければならないのであって、運転者にとって、道路における危険を防止し、交通の安全と円滑を図るために課せられている高度の注意義務を十分に守ることができる身体的、精神的状態の下にあることが必要条件であり、精神に病的な異常があって言動が正常でない者は、運転適性を欠く者であると言うべきである。そこで、法八八条一項二号は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図る見地から、精神に病的な異常があって言動が正常でない者を同号の精神病者として、これに免許を与えることは適当でないとして、これを免許欠格者と定めているのである。

(3) 原告の精神病者該当性について

① 前記1の(一)のとおり、原告は家族や近隣の者に対し問題ある言動を反復していたこと、右原告の行動は被害的な妄想又は被害念慮によるものであると認めるのが最も自然であること、清水医師が原告を問診した際には、原告は清水医師の質問に対し全く否定する態度を示したり、又は質問には答えず、ただニヤッと笑ったりして、質問内容や質問時の状況にそぐわない感情の動きを示すなどしたが、それは決して否定的な答えではないとの印象を強く受けるような奇異な反応であり、原告の言動には被害妄想に基づく病的な体験であると疑うに足りる十分な反応が認められたこと、原告は昭和五〇年に多摩済生病院の小松医師によっても精神分裂病と診断されていることなどから、原告には、精神分裂病の症状があり、清水医師において、これをもって精神分裂病と診断したのであって、原告は、本件処分当時精神医学上の精神病であった。

そして、原告は、妄想を伴う精神分裂病であるから、原告が自動車を運転した場合、原告の具体的症状としてある被害妄想の発現により、交通違反を犯したり、交通事故を起こすなどして道路における危険を惹起し、交通の安全と円滑を害する可能性が十分に存在することが容易に認められる者であったから、本件処分当時、原告は法八八条一項二号に規定する精神病者に該当した。

2  被告都

右1の(一)及び(二)のとおり、清水医師が原告の問診の結果及びその他原告の言動、精神状態に関する報告書等を総合的にとらえて、原告を精神分裂病と診断したことには何ら過失はない。また、右清水医師の診断を前提にしている以上、被告委員会が本件処分をしたことについても何ら過失はない。さらに、法一〇四条四項が指定医の診断に基づき法八八条一項二号に該当する旨認定した場合には聴聞手続を省略できる旨を規定していることから明らかなとおり、法は、精神医学の専門家としての医師の診断を重視しているのであるから、被告委員会が清水医師の診断の経過、根拠を調査せず、聴聞手続を経由しなかったからといって、本件処分の手続上の過失もない。

四  被告らの主張に対する認否

1  被告委員会の主張について

(一) (一)について

(1) (1)の①の事実は知らない。②は、昭和五五年七月一二日、石神井署の警察官が原告宅を訪れ、原告と面談し、隣家への投石の事実を尋ねたこと、昭和五四年一月二三日、原告が被告委員会から普通自動車の運転免許を受けていることは認め、その余の事実は否認する。③の事実は知らない。④の事実は知らない。

(2) (2)の①は、昭和五六年三月二六日、原告が、運転免許本部に出頭したことは認め、その余の事実は知らない。②は、同日、原告が東京慈恵会医科大学付属病院に出頭し、清水医師の診断を受け、同年四月一五日、同病院において心理検査及び脳波検査を受けたこと、同年五月一一日、清水医師が原告を精神分裂病と診断したことは認め、その余の事実は知らない。

(3) (3)の事実は知らない。

(4) (4)は、昭和五六年六月二六日、原告が本件処分の通知書の交付を受けたことは認め、その余の事実は知らない。

(二) (二)について

(1) (1)の事実は認める。

(2) (2)の主張は争う。

(3) (3)の事実は否認し、主張は争う。

2  被告都の主張は争う。

五  原告の反論

1  原告は、以下のとおり、本件処分当時はもとより現在においても精神分裂病ではないから、原告が法八八条一項二号の精神病者であることを理由として行われた本件処分は違法である。

(一) 原告の既往歴について

被告委員会は、原告を精神分裂病と判断した根拠の一つに、原告の平素の言動が異常であることを挙げるが、原告の本件処分時までの既往歴は以下のとおりである。

(1) 原告は、父親、母親及び弟の四人家族である。原告は、幼少のころ、疫痢、自家中毒等を患い、その後も消化器系内蔵が弱く、病弱であった。原告は、中学卒業後就職したが、一八歳のころ、自己の将来や職業等について思い悩み、一時仕事をやる気をなくして職に就かず、無為な生活を送っていた。原告の母親は、原告がいわゆるノイローゼにかかったものと誤信し、保健所に相談に行ったところ、東京都の職員を紹介され、同人から、ノイローゼの子供は少しの間病院に入院させればよくなる旨指導を受け、多摩済生病院を紹介され、原告を同病院に入院させることにした。人院手続は右職員が手配し、昭和四一年一〇月三日、同病院から職員をよこし、事情を知らされていない原告を連れて入院させた。その際、同病院の医師は、原告の病名、症状について全く説明しなかった。他方、原告は、精神病院についての知識は全くなく、母親が入院を勧めることに気軽に従った。入院期間は約一年半であったが、その間、原告は一般開放病棟に居住し、治療を受けることもなく、連日外出、外泊ができた。

(2) 原告は、昭和四九年ころ鉄工所工員として働いていたが、手の甲を骨折し、自宅療養していたときに、隣人の中島節雄(以下「中島」という。)との間にトラブルが発生した。これについて、原告の家族は、一方的に原告を押さえつけ、忍従を迫ったため、ついに家族とのトラブルに発展した。その結果、原告は些細なことで家族と喧曄になり、暴力を振るった。原告の母親は、家族間の不知につき警察の防犯課が仲裁してくれるものと信じていたことから、事あるごとに一一〇番通報をし、原告は警察の取扱いを受けることになった。

(3) 警察は、原告の母親に対し、病院に入院させることを強く勧め、原告の母親は、再度原告を多摩済生病院に入院させることを決め、昭和五〇年一月二六日、原告の弟及び警察官が原告を拘束してそのまま同病院に入院させた。右入院は同意入院として行われ、家庭裁判所による監護人の選任は事後的に行われた。原告は保護室や閉鎖病棟に収容されたが、治療という名に値することは一切行われず、ただ拘禁されただけであった。原告の担当医である小松医師は、原告に対し、母親の同意があれば退院できるというだけで、小松医師自身の判断により退院の可否を決めない態度であったことから、原告は、小松医師に対し不安と不信感を抱き、母親の同意を得るため合計三回脱院したが、そのうち二回は家族や警察の手によって強制的に連れ戻された。同年九月四日、原告は三回目の脱院をして祖母の下に逃れ、同人から家族を説得してもらい、同月九日、退院手続をとってもらった。

(4) 原告は、脱院後約二年間一人で暮らしたが、その後また家族と同居するようになった。しかし、原告は、精神病院へ入院させた家族に対する怒りを押さえきれず、昭和五三年中は、家族と顔を合わせればいさかいに発展するような状態であった。原告の家族は、身勝手にも、原告を一人にしておけば、そのうち怒りが治まると考え、また、世間体を気にして、原告一人を残して行方を知らせず転居した。原告は、その当時すでに三〇歳になっており、自立の道を考え、定職を持つことを考えた。原告は、かねてより自営業をやりたいという希望を有しており、それには自動車の運転が必要になると考え、昭和五三年九月末、自動車教習所に入所し、昭和五四年一月、本件免許を取得した。原告は、その間に自動車の陸送業を行うことを決め、数社に対して就職活動をした後、ようやく有限会社共栄に採用され、その後同社から有限会社伸興が分離独立する際、同社の専属となった。仕事は請負制で、代金は運転距離に比例して決まり、扱う自動車の車種は種々雑多であった。原告は、陸送業を始めてから本件処分を受けるまでの約二年間無事故であり、経営者に信頼され、従業員仲間はもとより顧客においても評判がよく、集金を依頼されることや、顧客から指名をうけることも度々であった。

(5) 原告が陸送業を始めてからも、近隣居住者の原告に対する態度は冷たく、原告が精神病院に入院したことを理由に差別と偏見を持って接してきたため、多少のトラブルがあった。昭和五五年七月一二日、警察官が原告を訪ねてきたが、警察官は、一方的に原告に非があるとした態度で臨み、また、原告が精神病院への入院歴を有することに発する偏見による言辞を投げ掛けるだけであった。その際の原告の対応につき警察官が報告しているような事実は全くなく、警察官の偏見に満ちた事実の歪曲である。原告と近隣居住者とは、その後石神井署で会合し、過去のことは一切水に流して和解し、今後は楽しく近所付き合いをすることを約束している。

(6) 以上のとおり、原告には何ら異常な言動はなく、被告がとらえた原告の異常な言動というのは、いずれも、原告が精神病院に入院した者ではあるとの偏見に基づくもの、又は、近隣居住者及び警察官の予断や思い込みから、原告が行ってもいない事を原告に結び付け、さらに、それを精神病の症状に当てはめたものである。

しかし、原告の実際の言動からは、同人が極めて感情豊かで、生命力に溢れていたことが窺えるものの、いかなる病的体験の存在も窺えないし、また、陸送業に従事していたことは、社会生活において破綻がないことを示しており、精神分裂病の特徴とされる認識の変容、感情の貧困、意思疎通の欠如、社会生活の破綻という要素をすべて否定するものである。

(二) 上野豪志医師(以下「上野医師」という。)の診断及び逸見武光医師(以下「逸見医師」という。)の鑑定(以下「逸見鑑定」という。)について

(1) 原告の依頼に基づき昭和五六年七月から同年一二月までの間の診察結果に基づき行われた上野医師の診断及び鑑定人である逸見医師の鑑定(以下「逸見鑑定」という。)の結果は、いずれも原告は精神分裂病でないと診断している。

(2) 上野医師の右診断は、原告に対する合計七回の問診及び原告の母親からの事情聴収に基づく診断である。

逸見鑑定は、原告に対する合計四回の問診及び本件事件の全裁判資料に基づいて行われたものである。

上野医師の診断及び逸見鑑定は、いずれも原告の現在状態に基づいて行ったものであるが、またそれは原告の成育歴、生活歴、生活状態に関する事実に基づくものであり、原告に精神分裂病と診断できる基礎事実がないことを裏付けるとともに、原告が精神分裂病でないことが専門医により診断されたものである。

(三) 清水医師の診断について

(1) 被告委員会の指定医である清水医師が本件処分に当たり原告を精神分裂病と診断した際にその資料としたものは、問診の結果、石神井署警察官の報告書、三田警部補作成の照会結果報告書、小松医師の回答書のみである。

(2) 精神病の診断においては、被診断者の成育歴、生活歴、家族歴等の既往歴から現在の生活状態等の事実に至るまで幾多の資料を必要とする。その中にあって特に必要なのは、被診断者の現在状態及び症状である。右は被診断者に対する問診によって獲得される。したがって、問診が不十分であったり、それによって得られた資料の評価に過誤があるときは、その欠陥が直接診断に影響を与え、その結果として、診断を誤らせることになる。

(3) 精神鑑定には、右(2)で述べたとおり多くの情報が必要であるが、それを得るのは問診においてである。しかるに、清水医師は、原告の臨時適性検査ではせいぜい約二〇分しか問診時間をとっておらず、しかもただの一回限り問診を行っただけであった。さらに、清水医師は、同検査の目的を誤解していたので、問診における原告の態度、反応等について正確な判断ができていない上に、同検査に添付された資料の内容についても真偽の確認をしないまま、実際には右資料にある原告の言動は存在していないにもかかわらず、それを前提として、不十分な問診の結果と併せて原告を精神分裂病と診断した誤りを犯した。

(4) 清水医師は、原告が精神分裂病の診断名で多摩済生病院に入院した事実につき、同病院の小松医師から回答書を受領しているが、同病院の原告の診療録の記載内容によれば、原告が同病院に入院したときにおいてさえ精神分裂病であったのかが疑われるのである。しかるに、清水医師は、右回答書を求めたほかには、小松医師に対して問い合わせや資料の取り寄せ等を全くしていない。このように、清水医師は、十分な資料を収集せずに、小松医師の回答書を過大に評価して診断をした誤りがある。

(四) 小松医師の診断について

多摩済生病院の小松医師は、原告が中島に対する被害妄想が強いことを基礎事実として原告を精神分裂病と診断しているか、その症状認識を誤っている。

仮に、原告が中島に対し被害妄想を有していたとしても、それは単に中島という特定された実在する人物に対する妄想に過ぎず、何ら体系化された妄想ではないこと、原告の生活歴等から、精神分裂病の症状と全く反する旺盛な生命力の存在が窺われ、精神分裂病を推認させる症状が全くない。

精神分裂病は精神病のゴミ溜めといわれ、今日に至るもその内容、原因、治療法が十分に解明されていないため、開業医は安易に精神分裂病と診断する傾向にあり、小松医師は原告につき、家庭内葛藤の一方当事者たる原告に精神分裂病という病名を付したものと考えられる。

2  法一〇三条一項の違憲性

法一〇三条一項は、運転免許を受けた者が法八八条一項二号の精神病者に該当する者になったときは、その運転免許を取り消さなければならない。と定める。

ところで、法一条は、法は道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因する障害の防止に資することを目的とする、としており、法八八条の規制目的は、自動車運転者による道路交通における危険の防止にある。しかし、右規制目的は、精神病者を運転免許資格者から排除することを導くものではない。精神疾患が交通事故の原因となるか否かは、すぐれて科学的、医学的な問題であるが、この関係を合理的に関連付ける資料はもとより調査研究も全くない。自動車の運転は、知覚、認識、判断、動作の各要素からなり、これらの一つでも欠落するか、的確性を失えば交通事故の原因となるが、精神病による精神疾患と右の各要素の欠落ないし不的確とが関連性を有するとする合理的根拠はなく、かえって、精神医学者によって右関連性は否定されている。

仮に、精神病により精神疾患が交通事故と何らかの関連性を有するとしても、法は、八八条一項二号、一〇三条一項においては精神病の多様性や個別的格差を全く捨象し、当該精神病者の過去の運転実績はもとより、将来の回復可能性を全く無視して、単に精神病であることのみをもって絶対的欠格事由とし、一律に運転免許の必要的取消しを規定している。右は、規制の態様と程度の双方において社会的相当性を欠くものである。

憲法一四条は法の下の平等を規定し、右にいう平等は相対的平等を意味し、個人主義、民主主義の正義の理念たる人間性の尊重の要請からくる合理的差別を許容するものであるが、右に述べたとおり、法一〇三条一項の規定は、規制目的と具体的規制との間に十分な関連性がなく、また、規制の態様及び程度が社会的相当性の範囲を逸脱するものであって、同規定は何らの合理的理由なく精神病者をその他の者と不当に差別するものであって憲法一四条に反し、違憲無効な規定であるから、右規定を適用して行った本件処分は違法である。

3  法一〇四条四項の違憲性

法一〇四条一項は、法一〇三条一項の規定により運転免許を取り消すときは公開の聴聞手続を経なければならない、と定めている。他方、法一〇四条四項は、あらかじめ指定した医師の診断に基づいて精神病者であることを認定した者については、聴聞を行わないで運転免許を取り消すことができる、と定める。しかし、精神病の概念そのものが未だ不明確である医学の現状において、精神病であるか否かの診断及び判断は極めて困難である。それ故、診断に当たる医師によって結論が区々になることや、誤診に至ることも多い。このようなことから、専門医の診断に基づき精神病者と診断されたことだけでは、聴聞を省略することができるという合理的理由とはなり得ず、かえって、被処分者に対し、その診断方法、内容、結論について告知すると同時に、これに対する反論、反証の機会を与える必要が強い。したがって、法一〇四条四項の規定は何らの合理的理由なく精神病者をその他の者と不当に差別するものであり、憲法一三条、一四条に反する。また、不利益処分については刑事手続と同様に適正手続の保障が要求されるところ、適正手続の保障の一環である聴聞手続を省略することは、憲法三一条にも反する。

以上のとおり、法一〇四条四項の規定は、憲法一三条、一四条及び三一条に反する違憲無効な規定であるから、右規定に基づき聴聞を経ないで行った本件処分には手続上の違法がある。

4  法一〇四条四項の適用における裁量権の逸脱

仮に法一〇四条四項が合憲であるとしても、原告は、本件免許を受けてから本件処分を受けるまでの約二年間、自動車の陸送業という自動車の運転を内容とする職業に就いていたこと、その間無事故であったこと、原告は、清水医師及び被告委員会の職員に対し、終始、精神病者ではないことを申し述べていたことなどといった事情があり、このような事情に照らせば、原告が本件処分に関し反論を有することは、被告委員会にとって明白であった。しかるに被告委員会は、原告の右反論を無視し、聴聞手続を経ることなく本件処分を行ったが、右手続は法一〇四条四項の規定の適用上裁量権を逸脱した取扱いであって、違法である。

六  原告の反論に対する被告らの認否

1  1について

(一) (一)の(1)は、原告が父親、母親及び弟の四人家族であること、昭和四一年一〇月三日、原告が多摩済生病院に入院したこと、入院期間は約一年半であり、原告は開放病棟に居住していたことは認め、原告が同病院に入院の際、同病院の医師が原告の病名、症状について全く説明しなかったこと、原告が母親の入院の勧めに気軽に従ったことは否認し、その余の事実は知らない。(2)は、主張のころ原告と中島との間にトラブルが生じたこと、原告が度々石神井署の取扱いを受けたことは認め、その余の事実は知らない。(3)は、原告の母親が再度原告を多摩済生病院に入院させることを決め、昭和五〇年一月二六日同病院に入院し、同年九月九日退院したこと、原告が同病院を脱院したことがあることは認め、その余の事実は知らない。(4)は、原告の家族が原告一人を残して行方を知らせず転居したこと、昭和五四年一月、原告が本件免許を取得したこと、原告が陸送業に従事していたことは認め、その余の事実は知らない。(5)は、昭和五五年七月一二日、警察官が原告を訪ねたこと、原告と近隣居住者とが石神井署で会合したことは認め、警察官が原告を訪ねた際、一方的に原告に非があるとした態度で臨み、また、原告が精神病院への入院歴を有することに発する偏見による言辞を投げ掛けたことは否認し、その余の事実は知らない。(6)は争う。

(二) (二)の(1)の事実は認める。(2)の事実は知らない。

(三) (三)の(1)は、清水医師が原告を精神分裂病と診断した際の資料が原告主張のもののみであることは否認する。(2)は争う。(3)は、清水医師が原告を問診した回数が一回であることは認め、その余の事実は否認し、主張は争う。(4)は争う。

(四) (四)は争う。

2  2ないし4は争う。

七  被告らの再反論

1  法一〇三条一項の合憲性について

憲法一四条は、あらゆる差別を禁止する趣旨ではなく、法の下の平等の原則に反する差別、換言すれば、人間性を尊重する個人主義的民主主義理念に照らしてみて不合理と考えられる理由による差別が禁止されているものというべきで、国民の基本的平等の原則の範囲内において、各人の年齢、性別、自然的素質、職業、人と人との間の特別の関係等の各事情を考慮して、合目的性等の要請に従い、適当な具体的規定を定めることを妨げるものではない。その意味で、法がその目的とする道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、道路の交通に起因する障害の防止に資することの観点から見て、合理的と考えられる差別をすることが憲法一四条に反するものではない。

精神病者が自動車を運転するときは、他人の生命身体に対し極めて危険な事態が生ずることはたやすく予測できることであり、これらの者の運転免許を取り消すことは必要、かつ、合理的な制限であって、何ら不当なものではない。したがって、法一〇三条一項は憲法一四条に反するものではない。

2  法一〇四条四項の合憲性について

法一〇四条四項の趣旨は、運転免許を受けた者が精神病者に該当するかどうかは専門医の診断に基づいて認定するのであって、このような専門医の診断に基づき精神病者と認定された者については、聴聞を行う実益がなく、これを省略して処分を行ったとしても、被処分者の権利侵害にはならないということにある。したがって、法一〇四条四項の規定は合理性があり、憲法一四条及び三一条に違反するものではない。

3  医師の診断について

(一) 清水医師の診断について

清水医師は、臨時適正検査の問診における原告の言動を誤解して診断したことはない。清水医師は、問診の結果のみならず、原告の多摩済生病院入院の所見について照会し、併せて、石神井署員による原告に対する各取扱いの事実、その際の原告の挙動、原告が精神分裂病と診断されて多摩済生病院へ入院した事実等を総合的にとらえて、同病院入院時から問診時まで同様の病的状態が続いていたと判断して、原告を精神分裂病と診断したものであって、その診断に誤りがあるとする原告の主張は理由がない。なお、清水医師は、本件処分当時の原告を直接観察し、その場で得られた印象、原告の反応に基づいて診断したのであり、問診に要した時間の長短、労力の多寡によって、診断そのものの是非を問うことはできない。

一方、原告は、清水医師の問診を受けた当時三二歳という年令に達していたのであるから、健康な精神の持主であれば、運転免許を取り上げられる危険から回避しようとして、積極的に、原告の一連の問題行動に関する清水医師の質問に対して同医師を納得させ得る合理的な説明を行ってしかるべきである。

(二) 小松医師の診断について

原告は、多摩済生病院に三回入院しているが、昭和四一年一〇月三日の一回目の入院の際の診療録によれば、「近所の物音が自分に対しているように考えて腹を立てる。」、「道を歩いていて人がよく自分の方を見ている。」、「前の家の音が聞こえると、こっちでも戸をピシャと閉めたり、ガタガタさせて仕返しをする。これを毎日何回となく繰り返す。」等の行状が認められ、入院後も無表情、低声、単調であって、近所の特定の者に対する漠然とし被害体験があり、自閉的、非生産的な生活が認められ、また、二回目及ぎ三回目の各入院時の原告の状態は一回目の入院時の状態と同様であると認められるものであったから、小松医師が原告を精神分裂病と診断したことに何ら不合理な点はない。

(三) 逸見鑑定について

逸見鑑定は、原告は精神医学上の精神分裂病ではないとする。

逸見医師は、本件処分当時の原告の精神状態を直接観察し、分類、診断することができなかったから、その当時の原告の精神状態を鑑定をするには、その当時の原告の精神状態を直接観察したと同視し得る程度の精神医学上利用できる情報を収集しなければならない。しかし、同医師は、原告本人のみから事情を聴取しただけで、診断上大きな役割を持つといわれる原告の生活史等の既往歴につき、原告の家族、勤め先の上司、同僚等を調査し、原告の陳述との符合性及び妄想の有無の判断の基準となる原告の陳述が現実との意味関連性を有するか否かを検証しておらず、また、鑑定する上で検討した資料にある情報の信憑性についての検証が不十分である。

また、同鑑定は、アメリカ精神医学会で出された精神病の診断、分類基準であるDSMIⅢと同内容の基準に立っているが、同基準はその他の診断、分類基準に比べて精神病を狭く解する見解であるところ、同基準はアメリカ国内においてさえ批判があり、日本においては特に強い批判があるように、同鑑定は広く承認された見解に基づくものではない。

さらに、同鑑定は、DSMIⅢによれば原告は分裂病型人格障害(スキゾタイパル・パーソナリティー・ディスオーダー)に該当するとしているが、右は日本の精神料の医師の間においては精神分裂病又は精神分裂病寄りの境界例と診断されているものである。なお、同鑑定には、鑑定時において、原告には神秘的思考、関係念慮、社会的に孤立した生活、繰り返される妄想様観念、舌足らずな説明、向かい合った際の親近感の乏しさ、疑がり深く、不安感が強く、他人が自分を見る目を気にする、といった精神状態が認められたとしているのであるが、これをもってしても、また、逸見医師自らも、原告に認められる右の精神状態は、国連世界保健機構の分類基準であるICD―9によれば精神分裂病と診断されること、及びDSM―Ⅲでは精神病の範疇に含まれる妄想性障害のうちのパラノイアと判断され得ることを認めていることからしても、原告が精神分裂病であるといえるものである。

以上のように、同鑑定の経過及び結果は、精神医学的見地からして科学性、合理性を欠くものであり、これを採用することはできない。

(四) 上野医師の診断について

上野医師も、原告につき精神分裂病として診断、治療する必要を認めない、との診断をしているが、同医師も精神分裂病の概念、診断基準について狭くとらえる立場の医師であり、右診断があることから直ちに原告が精神分裂病に該当しないといえるものではない。さらに、同医師の右診断は、前記三の1の(一)の(1)で述べた原告の異常行動がなかったものとの前提の下にされたものであるが、原告に前記の異常行動があったことは事実であるから、右事実がないものとしてした同医師の診断は採用できない。

八  被告らの再反論に対する認否

すべて争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一本件処分の取消請求について

1  請求原因1の(一)(本件免許の取得)及び(二)(本件処分の存在)の事実は当事者間に争いがなく、(三)(不服申立ての経由)の事実は、原告と被告委員会との間に争いがない。

2  法八八条一項二号の精神病者について

法八八条一項は、運転免許の欠格事由を規定し、同項二号は、精神病者、精神薄弱者、てんかん病者、目が見えない者、耳がきこえない者及び口がきけない者を列記している。

右の精神病者については、右規定に併記されている精神薄弱者及びてんかん病者を含め、法中に定義規定がなく、医学上の用語と異なる意味で使われていると解すべき特段の根拠がないので、いずれも精神医学上の精神病、精神薄弱、てんかん病の概念を前提とするものであると解される。従って、精神医学上の精神病の状態にある者(精神病者)に該当しない限り、法八八条一項二号の精神病者に当たらないものということができる。

3  そこで、まず、原告が精神医学上の精神病者に該当すると認め得るか否かを検討する。

(一)  本件処分において原告が精神病者であるとされた根拠

(1) 原告は法一〇二条一項の臨時適性検査において精神分裂病と診断され、右診断に基づき被告委員会が本件処分をしたこと、右の臨時適性検査は被告委員会から法一〇四条四項の指定を受けた東京慈恵会医科大学付属病院の清水医師が行ったことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、清水医師は同病院の精神神経科の医師であることが認められる。そして、精神分裂病は、精神医学上の代表的な精神病であり、右の臨時適性検査における精神分裂病との診断が精神医学上のものであることはいうまでもない。

(2) 〈証拠〉によれば、清水医師が原告を精神分裂病と診断するに至った基礎事実及び判断過程は以下のとおりであったことが認められる。

① 清水医師は、臨時適性検査に先立ち、原告に同行してきた警視庁運転免許本部安全運転学校の三田警部補から、野田巡査部長ら作成の「臨時適性検査該当者(精神病の疑い)の発見について」と題する報告書(乙第二号証の二)、三田警部補作成の照会結果報告書(乙第三号証)の提出を受けた(以下、右報告書を併せて「警察官の報告書」ともいう。)。

野田巡査部長ら作成の報告書の内容は、被告らの主張1(被告委員会)の(一)(本件処分の経緯)の(1)(端緒)の①ないし③の記載とほぼ同趣旨のものであり、三田警部補作成の報告書の内容は、被告らの主張1の(一)の(3)(処分の上申)の①の(ⅰ)の記載と同趣旨のもの及び昭和五五年一一月一六日に石神井署防犯係家事相談室で原告及び被害者を呼び、話し合いの斡旋を行い、今後投石しないことで和解した、という趣旨のものであった。

② 清水医師は原告を問診の方法で診察した(以下この診察を「本件診察」ともいう。)が、原告は診察の全般を通じて不機嫌かつ非協力的であった。清水医師は、まず、警察官の報告書に記載されている原告の行動の有無を確認する質問をしたところ、原告は応答を拒否した。引き続き、原告の睡眠、食欲、過去の病気の記憶、家族、生活歴等について質問したところ、原告は一応応答したが、学歴や生活歴についてはごく一部を答えたのみであった。また、原告が家族と別居していたのでその理由を質問したが、原告は返答せず、清水医師はこのことから家族との連絡がないものと認識した。さらに、被害妄想の存否を調べる質問として、周囲の人の様子が変ではないかとか、気味の悪い印象はないかとか、外出中他人に後をつけられたり、噂されたり、中傷されるようなことはないか、といった質問をしたところ、原告はそれには返答せず、薄笑いを浮かべた。

③ 清水医師は、原告に対する右の問診の結果だけからは、警察官の報告書に記載されている原告の行動が実際にあったとの確信を持つまでには至らなかったが、右報告書は警察官が作成した公文書であること、及び、右報告書の表現自体から、原告の近隣に居住する本橋貞次、久子夫妻、山田幹夫などから一致した証言が得られているものと認識し、右報告書に記載されている原告の行動が通報に係るものをも含めてすべて実際に存在したと考え、この原告の行動は病的な状態に基づいて発生したものである可能性が強いと判断した。問診時の原告の拒否的態度については、感情疎通性がなく、冷たく、素っ気ない等の感情的動きが非常に窺いづらいものと受け止め、被害妄想に関する質問に対する原告の反応については、診察全般を通じて不機嫌であった原告の反応として大変奇異な印象を受けるものであり、清水医師の臨床経験に照らすと、質問に係る事実につき肯定的な反応であると解釈され、原告の行動が被害妄想に基づくものである可能性が強いとの疑いを持った。また、家族との連絡がないことについては、異常なことであると受け止めた。

④ 清水医師は、原告に入院歴があることが判明したので、三田警部補を通じて、昭和五六年三月二七日、入院先の多摩済生病院に入院時の所見を照会したところ、同病院の小松医師作成の病状照会回答書(以下「小松回答書」という。)を受領した。

小松回答書の内容は、原告は精神分裂病と診断され、昭和五〇年一月二六日から同年九月九日に脱院により事故退院するまでの七か月一五日間、同病院に入院していたこと、隣人の中島に対する被害妄想が強く、同人に文句を言いに行こうとする原告を止めた母親に対して暴行があり、これによって警察官が同行して入院したこと、入院中も被害妄想が消退せず、病識がないこと、退院後は同病院では治療をしていない、という趣旨のものであった。

⑤ 清水医師は、小松回答書により、問診の結果抱いた前記③の疑いが資料により裏付けられていると判断した。そして、清水医師は、警察官の報告書、問診の結果及び小松回答書を総合すると、原告は多摩済生病院に精神分裂病で入院していたこと、原告が同病院を退院したのは症状改善によるものではなく、脱院という事故退院によるものであって、依然として病的な状態が続いていること、原告自身は病識を欠き、退院後全く治療を受ける意思を有しない状態にあること、警察官の報告書に記載されている原告の行動の中に、病的体験としての被害妄想が認められ、右被害妄想に基づいて専ら周囲の人に対して問題行動を反復していることが認められたことなどといった判断を下し、これに基づき、原告を精神分裂病であると診断した(以下、以上の診断を「清水医師の診断」ともいう。)。

以上の認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  清水医師の診断の当否について

(1) 警察官の報告書の内容の検討

① 証人野田有信は、昭和五五年七月一二日の原告の取扱い状況につき、野田巡査部長ら作成の報告書(被告らの主張1の(一)の(1)の②)のとおりであった旨供述する。

これに対し、原告は、その本人尋問において、原告が警察官の質問に対して素直に応答しなかったことはあるが、その際の応対状況は右報告書にあるのとは異なり、原告はドアのつっかえ用に使っていた棒にもたれるような状態で応対していたことはあるものの、それを手に持ったことはなく、逆に、警察官は初めから原告が一一〇番通報にあった問題行動をしたと決めつけたような態度で質問を始め、原告が帰るように言いながら警察官の胸の辺りを押そうとしたところ、警察官が原告の手をたたき、別の警察官は警棒で手を殴ったり、原告が精神病であるかのごとき内容の暴言を吐いたので、原告は警察官の右暴行について石神井署まで出向き、抗議した旨供述している。

ところで、証人野田有信の証言によれば、右取扱いは、石川裕見子がした一一〇番通報に端を発しているが、同人からの一一〇番通報に係る石川宅へ物を投げ込んだり、同宅の戸をたたいたりしたとの事実については、ただ大きい音がしたという程度のこと以外は確認されなかったこと、しかし、野田巡査部長らは、石川裕見子及び近隣に居住する本橋夫妻等に対する事情聴取等から、近所に頭の変な人がいるということを聞き込み、それが原告を指すものであることが判ったので、原告に対する事情聴取の必要を認め、原告宅を訪れたことが認められる。右認定によれば、野田巡査部長らは、原告が頭が変な人であるとの認識、すなわち原告が精神病者である疑いがあるという先入観を持って原告を取り扱ったことが推認されるのである。そして、右先入観を持ったことは、右経過に照らしてやむを得ないところではあるが、これによって、原告の応答行為についての認識や報告書の記載方法に影響を及ぼしたという可能性を否定することはできない。

また、原告の供述中にある、警察官に手を殴られたこと及びそれについて石神井署まで出向き、抗議したことについては、これに反する証拠はなく、右取扱い中の出来事として存在したこと(ただし、「殴る」とはいっても、手を振り払いあるいは警棒が手に触れたという程度のものと推定される。)が認められるところ、右報告書には全くその旨の記載がない。

以上のことに鑑みれば、右報告書中の同日の取扱いに係る状況の報告部分は、客観性に疑いが抱かれるものであり、右報告部分の事実をそのまま診断の資料とするのは相当とはいえない。

② 野田巡査部長ら作成の報告書にある昭和五五年七月一二日の取扱い以外の石神井署における原告の取扱い事実については、証人糸川トシの証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、同日以前に、警察官の報告書にあるとおり、石神井署において一一〇番通報等の通報による取扱いを受けていること、右通報の原因はいずれも原告がその家族に対して暴力を振るったということであって、その通報者はいずれも母親の糸川トシ(以下「トシ」という。)であること、右通報をした理由は、原告の暴力を警察官の手によって治めてもらうことにあったことが認められる。

右認定によれば、原告の右取扱い事例はいずれも家族がした通報に係るものであり、近所に居住する者からの通報によるものではなく、また、その通報の原因は原告がその家族に対して暴力を振るったという家族内の問題によることが認められるのである。そして、右の取扱い事例の中からは精神分裂病の病的体験を見い出せないとする精神神経科医師である証人上野豪志の証言及び意見書(同証人の証言により真正に成立したものと認められる甲第二号証)があり、これらの点に鑑みると、右通報の原因に係る原告の行動が仮にそのまま真実であるとしても、その行動を精神分裂病からくる異常行動あるいはこれを窺わせるものとして取り上げるのは必ずしも相当ではないと考えられるのである。

③ 三田警部補作成の報告書にある昭和五五年一一月一四日及び同月一五日の山田幹夫宅及び石川清宅への投石に係る原告の取扱い事例については、いずれも原告が行ったものあるいは原告に関連するものであると確定できる証拠はない。なお、証人本橋久子の証言中には、原告が山田幹夫宅等に投石をしたことがある旨の供述部分があるが、投石の事実について同証人自身が目撃するなどして現認したものではなく、また、同証人において原告が行ったものであると判断した根拠が明らかではないので、右供述部分はたやすく採用するわけにはいかない。

また、右報告書には、同月一六日に原告及び近隣居住者とが石神井署において話し合いをし、和解を行った旨記載されている。右話し合いがされた事実については、証人本橋久子の証言及び原告本人尋問の結果により、その存在が認められるが、右報告書に「被害者との話し合いの斡旋を行い、今後投石をしないことで和解した」旨記載されている部分については、同証人の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告と近隣居住者との間に生活上のトラブルがあったが、今後仲良くし、お互い円満に付き合うということで話し合いがついたというものであったこと、右話し合いは原告とその近隣居住者が自発的に行ったもので、話し合いの場所として石神井署を利用したにすぎないことが認められ、右報告部分の内容は必ずしも正確ではないと認められる。

そうすると、三田警部補作成の報告書にある原告の取扱い事例も、精神分裂病からくる異常行動あるいはそれを窺わせるものとして取り上げることは当を得たものとはいえない。

④ 以上の検討によれば、警察官の報告書にある原告の各行動をそのまま原告が真実行ったものとした上で、精神分裂病の病的体験又は具体的な症状の発現としての異常行動あるいはそれを窺わせるものとしてとらえ、これを診断の主要な資料とすることは不相当というべきである。

(2) 清水医師の問診の結果の検討

① 証人清水信の証言によれば、清水医師は、原告を問診の方法で診察(本件診察)するに当たり、原告が既に運転免許証を被告委員会に取り上げられており、本件診察は運転免許証を取り戻す目的で自ら積極的に求めてきた原告を救済するための手続の一環であると考えていたこと、清水医師は、本件診察を始めるに当たり、原告に対して本件診察の目的等の説明は一切していないことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

② 〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

原告は、被告委員会から昭和五六年三月一六日付けの通知書により同月二六日に臨時適性検査を実施する旨の通知を受け、同日午前九時ころに警視庁運転免許本部に置かれている安全運転学校に出頭し、三田警部補から臨時適性検査を受けることを求められた。その際、三田警部補から原告に対し、検査を受けなければ運転免許が取消しになる旨の話があった。原告は検査を受けることを拒否する態度を示していたが、検査を受けないまま運転免許を取り消されては困ると考え、最終的には検査を受けることにした。しかし、原告は、検査を受けること自体が運転免許の取消しにつながる不利益的なものであると考えていた。原告は、同日、三田警部補に連れられ東京慈恵会医科大学付属病院に行き、清水医師による本件診察を受けたが、原告にとっては清水医師の態度が始めから高飛車なものであると感じられ、質問の仕方などは気分を害するものであった。原告は、検査自体が不利益なものであると考えていたこと、診察の目的が十分に理解できなかったこと、答えたくないことや自己に不利なことは答えないほうが良いと思ったことから、清水医師の質問に対して応答しないことが多かった。しかし、質問の中には内容がバカバカしいと感じられるものがあり、このような質問がされた時には思わず薄笑いを浮かべてしまうこともあった。なお、原告が以前多摩済生病院に入院していたことに関する質問は一切なかった。

以上の認定を覆すに足りる証拠はない。

③ 右①、②の認定によれば、清水医師が本件診察を行うに当たり持っていた本件診察に臨む原告の態度に関する認識は、原告が自分のところに救済を求めに来ているというものであって、原告の認識(原告の運転免許を取り消す不利益なもの)とはかなりの隔たりがあるものであり、しかも、本件診察の目的は、原告の運転免許を取り消すかどうかの資料を得るものであるから、どちらかといえば、原告の認識の方がより右目的に近いということができるのである。そして、原告は、自己の認識から、運転免許を取り消されないようにするため、清水医師の質問に対して極力答えない態度をとったものであるが、清水医師は、自己の認識を前提に、原告も同じ認識に立っていると考えたため、質問を拒否する原告の態度が理解できず、逆に、そのような態度を感情疎通性がない、冷たい、素っ気ない等の感情的な動きが非常に窺いにくい反応であると受け止め、また、原告が質問に対して笑うという反応をしたことについても、奇異な反応であると解釈するに至ったものと認められる。

ところで、精神分裂病であるとの診断を下すに当たっては、問診は極めて重要な地位を占めるものであるところ、問診を十分に行うには、被診察者と医師との信頼関係にできるだけ近い関係の設定が必要であるし、仮に被診察者の態度等からそのような関係が設定できなくても、医師としては、少なくとも被診察者がいかなる認識を持って診察に臨んでいるかを正しく把握し、その上で被診察者の言動を基に診察を行うべきであることは当然である。しかるに、清水医師は、本件診察に当たり、右の信頼関係にできるだけ近い関係の設定をすることができなかったのみならず、被診察者である原告の認識を誤解していたものである。したがって、このような状況の下にされた清水医師の本件診察の結果である原告の精神状態に関する理解ないし解釈は、妥当性を欠くものといわざるを得ない。

④ また、清水医師の診断は、警察官の報告書にある原告の行動が真実存在したことを前提とし、それにつき原告に質問したところ、原告がこれに応答しなかったことを、原告は合理的な説明ができないことによるものと解釈して行われているところもあるが、警察官の報告書にある原告の行動については、それを真に原告が行った行動であるとして診断の主要な資料として用いることが不相当であることは右(1)の認定のとおりであるだけでなく、先に認定したところによると、原告が応答しなかったのは、余計なことには答えない方がよいという判断によるもので、原告が右の原告の行動を自ら行ったと認めた上でこれを合理的に説明できなかったというものではないと容易に推認することができるから、右解釈は妥当性を欠くといってよい。

⑤ さらに、清水医師は、原告と別居したその家族との連絡がないことが異常であると判断しているが、この点については、証人糸川トシの証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告とトシは、本件診察当時、多いときには月に二、三回会っていたことが認められ、右判断も診断の基となる前提事実の認識として正確性に欠けるものである。

⑥ 以上の検討によれば、清水医師の問診の結果、すなわち本件診察により得られた原告の精神状態に関する認識判断は、かなりの点において妥当性を欠くものとせざるを得ない。

(3) 小松回答書の内容の検討

① 証人小松源二の証言によれば、小松回答書は、多摩済生病院の原告の診療録及び小松医師自身が担当医として原告を診察、治療し、原告が精神分裂病であると診断した結果に基づいて作成されたものであることが認められる。

② 多摩済生病院における診療内容

成立に争いのない乙第一五号証(多摩済生病院の原告の診療録)及び証人小松源二の証言によれば、

(ア) 原告は、昭和四一年一〇月三日から昭和四三年三月二三日までの間、昭和四九年一二月三〇日から昭和五〇年一月一四日までの間及び同月二六日から同年九月九日までの間の三回にわたり、多摩済生病院に入院していたこと(以下、順に「第一回入院」、「第二回入院」、「第三回入院」という。)、第一回入院は柳崎医師が、第二回及び第三回入院は小松医師が原告の担当医であったこと(ただし、第一回入院及び第三回入院の事実は当事者間に争いがない。)、

(イ) 第一回入院時の診療録には、トシが原告の状態を説明した陳述として、「物事が気になる。考えると今の事が手につかない。近所の戸の明け立てや話し声等の物音が自分に対して出されているように考え、腹を立てる。道を歩いていてよく人が自分の方を見ていると言う。原告は前の家の音が聞こえてくると、仕返しとして毎日何回となく戸を明け立てしたり、ガタガタさせたりすることを繰り返す。」といった趣旨の記載があり、昭和四一年一〇月六日の記事には、「無表情、低声、モノトーン、近所の特定の家(清水)に対する漠然たる被害体験あり、スキゾフレニー(Schizophrenie)」との趣旨の、昭和四三年一二月一日の記事には、「虫が見えると原告が言っていた。」との趣旨の記載があるが、その他原告の精神状態に関して特筆すべき記載は見当たらないこと、看護日誌の部分には、昭和四一年一〇月四日から昭和四二年八月二六日まではほぼ全日にわたり「無為」ないしは「無為臥床」との記載が冒頭にされていること、「無為」の記載は、その後の同年九月四日及び同月一五日にもあるが、それを最後にその旨の記載はないこと、原告に対する治療は、入院当日に向精神薬の投与がされ、電撃療法(EST・エレクトロショックテラピー)が二回実施されているが、それ以後は薬物療法のみが施されていること。

(ウ) 第二回入院時の診療録には、トシが原告の状態を説明した陳述として、「気にかかることがあると気がそちらへ行ってしまい、近所の家(中島)のことに神経がかかりきりになり、じっと監視し、家人が通ると怒鳴ったり、石を投げたりする、中島宅、特に主人に対して気にかかり、何事も自分に関係を付けて考える。」といった趣旨の記載があること、昭和五〇年二月二一日の記事には、「中島に対する被害妄想を有す。」との趣旨の記載があるが、その他原告の精神状態に関する特筆すべき記載は見当たらず、看護日誌の部分にも特筆すべき記載はないこと、

(エ) 第三回入院時の診療録には、トシが原告の状態を説明した陳述として、「退院後すぐに元の症状になり、中島宅が気になり、中島と話をして、中島に非を認めさせた上、出てもらわなくてはならないと言い出す。母親に対して粗暴行為があり、警察に頼んで病院に連れて来た。」といった趣旨の記載があること、また、原告の陳述として、「母親が困りはてて自分を入院させ、退院に同意しないことについて母親に対する不満を抱いている。」との趣旨の、外泊中の昭和五〇年七月二九日の記事には、「中島に対し腹を立て、石神井署に話しをしに行ったことがある。」との趣旨の記載があること、その他原告の精神状態に関して特筆すべき記載は見当たらず、看護日誌の部分にも特筆すべき記載はないこと。

(オ) 小松医師は、第二回入院時にトシがした原告の状態を説明した陳述につき、その内容の真偽について確認をしなかったが、トシの陳述態度から右陳述を信用できるものと考え、右陳述を診断の資料として採用し、中島に対する被害妄想を認めたこと、原告の病的体験としては、中島に対する被害妄想が唯一のものであったが、これと、第一回入院時の診療録に記載されているスキゾフレニーという言葉が精神分裂病と邦訳されるものであり、また、第一回入院時における治療内容が精神分裂病に対するものであったことから、原告を精神分裂病と診断したこと、

(カ) しかし、原告には、第二回入院及び第三回入院を通じ、入院中原告と密接な生活関係を有していた医者及び看護士を始め、中島以外の者に対する妄想は認められず、また、妄想に基づく行動、幻覚、自我障害、思考障害も認められなかったこと、

以上の事実が認定でき、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定によれば、多摩済生病院において原告が精神分裂病と診断された主たる理由は、第一回入院時点においては清水に対する被害妄想を、第二回入院及び第三回入院時点においては中島に対する被害妄想を認めたこと並びに比較的長期間の第一回入院があり、そこで原告が精神分裂病者とされていたことによるものと解せられる。

③ 第一回入院時点の被害妄想の検討

(ア) 〈証拠〉によれば、一般的に、妄想は異常な精神状態から発生する訂正不能な判断の誤りと定義されるものであり、その代表的なものの一つに関係妄想(周囲の人の素振りや言動がすべて自分に関係があると感じるもので、道路等において見知らぬ人から注目されて観察されているという観念を持つ注察妄想といわれるものは関係妄想の一部とみなされている。)があること、妄想は、心理学的に了解できない真正の妄想(一次妄想)と、当該人の感情状態や特定の事態あるいは一定の性格者の環境への反応としてその発生した理由が了解できる妄想様観念(二次妄想)に大別されること、妄想は精神分裂病に特有の症状ではないが、真正妄想は同病の特徴的な症状であること、妄想様観念は、精神病とは区別されている人格障害者あるいは普通人にも往々にして現れるものであること、真正妄想と妄想様観念の区別は臨床の実際において必ずしも容易ではなく、例えば一つの関係妄想があるとき、それが妄想知覚(真正妄想の形態の一つであり、正常に知覚された内容に対して動機のない意味付けをするもの)を母体とする真正妄想であるのか、あるいは特殊な対人関係において形成された妄想様観念であるのかを決めることは、時として不可能なことがあることが認められる。

(イ) 証人逸見武光は、第一回入院時におけるトシの陳述のうち、原告が近所の戸の明け立てや話し声などの音が自分に対しているように考え、腹を立てるという状態や、道を歩いていてよく人が自分の方を見ていると言うことがあるとの陳述部分は、原告に(真正)妄想があると疑い得る情報であるということもできる旨証言し、前掲乙第二三、第二五号証の作成者である東京医科歯科大学難治疾患研究所教授中田修医師(以下「中田医師」という。)は、右書面において、原告の右状態について、隣人が故意に原告を悩ますために物音を立てていない限り、原告が自分に対して物音が立てられていると解釈するのは、自己への関係付けであり、そのような関係付けを了解可能にする根拠が見当たらないので、右原告の体験は心理学的に了解できない真正妄想である蓋然性が高いものであるとし、多摩済生病院の診療録に記載されている原告が道を歩いていて人が良く自分の方を見ていると考える状態も、現実の知覚に病的な意味付けをするもので、真正妄想の一つである妄想知覚であり、これは注察妄想に分類されるものであるとしている。

(ウ) しかし、トシの陳述については、証人糸川トシの証言によれば、トシは、原告が昭和三七年に中学を卒業後就職したものの、短期間に職を転々とし、昭和四〇年ころから勤めに出ず、家でブラブラしていたのを見て、原告がノイローゼの状態にあると考え、保健所に相談を持ち込んだところ、同所で紹介された都庁の人から原告を入院させることを勧められたこと、トシは、環境を変えることが原告を良い方向にもって行くことができると思い、原告を入院させることが最善の策であると考え、都庁の人が勧める多摩済生病院に原告を入院させることを決めたこと、原告は入院を拒んだが、トシから同病院の医師に対して入院させることを頼み込み、第一回入院に至ったこと、その際、トシは、隣家の清水宅から出された物音に対する原告の状態を医師に説明したが、診療録にはその説明の全部が正確に記載されているわけではないこと、清水宅は比較的大きな音を出す家であり、原告はそれが気に障り、仕返しに出たものであり、しかも、右行為は時々ある程度で、診療録にあるように頻繁ではなかったことが認められ、また、原告本人尋問の結果によれば、原告は隣家の物音が気になったことがあり、腹立ち紛れに原告の方から戸を明け立てして音を出すなどの仕返し的な行為に出たことはあるが、決して物音が自分に対してされているなどと思ったことや、また、道を歩いていて人が自分の方を見るなどとトシに話したことはなかったことが認められ、右各認定を覆すに足りる証拠はない。

(エ) 右(ウ)の認定によれば、第一回入院時の診療録におけるトシの陳述は、原告がノイローゼであると考えた立場から原告の状態を説明したものであって、原告を入院させるために誇張してされた疑いが持たれる。一般的に、病識のない精神病者については自ら病的な体験や異常な行動を供述することはなく、家族等の第三者による患者の異常な行動の供述が唯一客観性を持つ情報であり、その供述が重要な資料となるものと考えられるが、右で述べたように、トシの陳述の客観性は十分担保されているものとはいえず、原告の病的な体験等を認定する上で無条件に資料とするのは相当ではない。

また、原告が清水宅から出される音に対して仕返し的な行為に出ることについては、音が出されることについて原告が多少被害的に解釈したものと理解することには一応合理性があると考えられるが、清水宅は現実にも比較的大きな音を出す家であったことが認められるので、右原告の解釈は現実との意味関連性が全くないわけではなく、証人逸見武光の証言によれば、原告は音に対して非常に過敏で、その過敏さ故に音を時々の状況に合わせて自分なりに被害的に解釈する傾向があり、しかも、一旦した解釈に固執し、他からの忠告を聞き入れない癖があることが認められるので、右行為が原告の持つ性格傾向としての曲解に基づくものに過ぎない可能性を否定することができず、また、入院後は清水に対し被害的な関係付けをする状態が存続したことを窺わす原告の行為の記録もないことからすると、右の原告の清水に対する行為が直ちに真正妄想に基づくものである蓋然性が高いといった判断を下すことはできない。

さらに、中田医師により真正妄想の一つである妄想知覚であると指摘される原告の体験については、中田医師において了解可能か否かにつき具体的に調査をした上で指摘がされているものではなく、問題とされる清水に対する被害的な関係付けが全く了解することの不可能なものであるともいえないこと及び前記(ア)で認定の真正妄想か妄想様観念かを区別することが必ずしも容易でないことに鑑みると、右体験を直ちに真正妄想に基づくものであると断定することはできない。

④ 第二回入院及び第三回入院時点における被害妄想の検討

(ア) 前掲乙第二三号証によれば、中田医師は、原告の中島に対する行動につき、第一回入院時点で原告に精神分裂病が発病したことを前提にして、関係付けの対象が清水から中島に移り、原告の側に真正妄想があって、その結果としてのいやがらせ行為であるという。

しかし、第一回入院時点で原告に真正妄想があったと断定することができないことは右③で判示したとおりであり、また、中田医師の右指摘は同医師が具体的に調査した上でされているものではなく、次の(イ)で認定されている中島の生活状況に照らすと、同人に対する関係付けを真正妄想であると断定することができないことは、右③の清水に対する関係付けの場合と同様である。

(イ) 次に、第二回入院時の診療録におけるトシの陳述については、証人糸川トシの証言によれば、右の診療録にはトシが陳述したことの全部が正確に記載されているわけではないこと、そこに記載されているトシの陳述によれば、原告の行動に関し中島の側には何ら原因となるようなことがないようになっているが、中島は原告の隣宅に住んでおり、原告宅の前で大声で怒鳴ったり、夜半大声で夫婦喧嘩したりするなど多少変わったタイプの人物であって、原告が気に障る原因なるものが現実に存在したこと、また、中島は新聞配達を業とし、原告宅にも新聞を配達しているが、その際原告宅の前で物音を立てるような事態も十分有り得たことが認められ、また、証人中島節雄、同本橋久子の各証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告宅では家族間で喧嘩になることがあり、その際立てられる物音等により中島宅に迷惑をかけ、中島が原告宅に良い感情を持っていない様子であったこと、一方原告は、中島が原告宅の戸を蹴ったことがあったことから中島を良く思っていなかったこと、中島も原告宅に向かって怒鳴ったり、中島がダンボール箱を原告宅の庭に入り込むように放置していたことなどが重なって、次第に険悪な関係になっていったこと、原告は大家の本橋を仲裁人として中島と話し合いの機会を持ったが、双方の関係は改善できなかったこと、原告は、中島に非を認めさせたかったが、トシが世間体を気にしてこれを制止し、我慢を強いたため、そこから家族内で言い争いになったり、原告が家族に暴力を振るうという事態に発展し、一一〇番通報に及ぶことがあったこと、その間、原告は中島の態度に腹を立てて同人宅の庭に植木鉢を投げ入れたり、ガラスを割ったりしたことがあるが、石を投げ込むようなことはしていないことが認められ、右各認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定によれば、第二回入院時のトシの陳述も正確性に欠けるものであるといって差し支えない。

(ウ) 第三回入院時の診療録におけるトシの陳述にある、原告が中島に対して普通以上に過敏に気を配り、過剰に対応していたことについては、右(イ)で述べた原告と中島との間のいわば喧嘩状態が持続、発展していった中の行為として説明することができ、喧嘩相手の動静が気になることも、とりたてて奇異な行動であるともいえず、また、原告の右行為につき、中島側にもその原因となり得る行為があったことが認められるので、それが真正妄想としての被害妄想に基づくものと断定することには躊躇せざるを得ず、このことは、証人逸見武光の証言及び鑑定の結果にも指摘されているところである。

(エ) なお、証人小松源二は、原告の中島に対する態度につき、単なる妄想様観念ではなく、病的な被害妄想が認められる旨証言し、診療録である乙第一五号証にもその旨の記載があるが、そのように判断した理由としては、同証人は、単に原告の入院から退院までの経過による、と供述するだけで、具体的な説明がなく、また、乙第一五号証にも、右記載に至った具体的な根拠等の記載が見当たらないから、右証言及び乙第一五号証は右(ア)及び(ウ)の判断を覆すに足りるものではない。

⑤ 原告のその他の者に対する被害妄想の有無の検討

(ア) 多摩済生病院において、清水及び中島以外のものに対する被害妄想が認められなかったことは先に認定のとおりである。

(イ) 証人中島節雄、同本橋久子(ただし、後記採用しない部分を除く。)の各証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告の近隣居住者は、原告が精神病院に入院していたということからくる偏見や誤解を抱いており、原告との近所付き合いは円滑を欠き、原告の大家である本橋宅には近隣居住者から原告についての苦情や相談がされていたこと、しかし、中島が昭和五三年ころ板橋区内に転居した後においては、原告と山田幹夫との間にゴミの処理方法についてトラブルがあったが、それは一時的なものであり、その他特定の近隣居住者との間で特別問題となるトラブルはなかったことが認められる。

ところで、本橋宅への原告についての苦情や相談の内容につき、証人本橋久子の証言中には、原告が近隣に住む石川進、山田幹夫、後藤らに対していやがらせや投石をしたということも含まれていた旨供述する部分があるが、いやがらせについては、その具体的内容がどのようなものかは述べておらず、そのいやがらせなるものが清水や中島に対してとった原告の行動と同質のものであるかどうかすらも明らかではないほか、同証人の証言の全趣旨からすると、原告を精神病院に入院していた者としてとらえる偏見から原告の行為を誤って認識したことに原因があると考えられること、投石については、その事実を本橋久子自身が目撃したものではなく、しかも、原告と投石の関連性を認めるに足りる証拠はないことからすると、右の供述部分を原告の問題行動の認定証拠として採用することはできない。他に、前示認定を覆すに足りる証拠はない。

そうすると、右認定にある原告の行動の中から被害妄想の存在を断定するわけにはいかない。

⑥ 診療録にある原告の入院中の精神状態に関する記載内容の検討

(ア) 証人小松源二の証言によれば、第一回入院時の診療録にあるスキゾフレニーの記載は、原告の担当医ではない藤井医師が記入したものであることが認められるが、藤井医師がどの程度原告の診察に当たり、どのような経過から右の記載を診療録に残したかについては本件全証拠によるも全く不明である。したがって、右の記載をもって、原告が当時精神分裂病者であったとの確たる診断と見ることは難しく、単なる感想的な記載ではないかと推認される。

(イ) 第一回入院時の診療録にある「虫が見えると原告が言っていた」との趣旨の記載については、それが精神分裂病との関連性を持つ記載であると認めるに足りる証拠はなく、証人小松源二の証言によっても、小松医師においても、右記載を原告の診断上斟酌していないことが認められる。

(ウ) 第一回入院時の看護日誌に記載されている「無為」の記載につき、証人小松源二は、右記載は、原告が何もしないで過ごす生活状態であったことを意味するものであると証言しており、このような状態は、それだけをとらえれば、精神分裂病者に見られる状態像としての意欲鈍麻の状態を疑わせるものととらえることもできないではない。しかし、前掲乙第一五号証によれば、「無為」の記載がある日にも「中庭運動」とか「廊下掃除」等の記載が併記されており、また、「無為」の記載がなくなる前後において原告の状態に特別な変化があったことを窺わせる事情は何もないにもかかわらず、突如「野球」、「外部作業」、「作業良好」といった「無為」の状態とは相反する状態の記録と解される記載が続いていることが認められ、このような看護日誌の記載状況に鑑みると、「無為」と記載された原告の状態が直ちに精神分裂病に関連付けられる状態と見てよいか疑問がある。

(エ) 以上の検討によれば、精神分裂病の症状を認定するに当たり、診療録にある原告の入院中の精神状態に関する記載を積極的根拠として取り上げることは相当ではないというべきである。

⑦ 多摩済生病院における診療内容の検討

(ア) 証人小松源二の証言によれば、同医師は、担当した原告の第二回入院及び第三回入院を通じて、精神分裂病に対する薬物療法を行っているが、その効果は認められず、また、原告に病識を持たせるための努力をしたが、原告は病識を持つには至らず、入院前後の原告の状態に特別変わりはなかったことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右治療の結果に照らすと、原告に対して適正な治療が施されなかったか、あるいは施された治療の前提となる診断が誤ってたかのいずれかであると考えられるものであるところ、証人逸見武光の証言及び鑑定の結果は、第二回入院以降の多摩済生病院における診療には、精神分裂病に対する治療方針というものを窺わせるものはなく、また、診療録にも精神分裂病と診断するに足りるだけの原告の病像が見られないことから、原告を精神分裂病と診断することに問題があることを指摘している。そうすると、右認定事実は、原告が第二回入院当時及びそれ以降において精神分裂病であったとすることに疑念を抱かせるものといってよい。

(イ) 〈証拠〉によれば、第一回ないし第三回入院を通じて、それぞれ退院するときあるいは退院直後に、担当医から、原告ないしその家族に原告の入院継続の必要あるいは通院の必要を説かれたり、投薬等の処方を受けたことはないことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右で認定された多摩済生病院の医師の対応は、原告が精神分裂病であることを前提とすると、小松医師の診断では寛解状態とみることができない状態にある原告に対する処置としては不可解であり、証人逸見武光も指摘するとおり、右は原告が精神分裂病であったとすることに疑念を抱かせる事情であるといえる。

⑧ 右①ないし⑦によれば、小松回答書は、その前提とした資料の正確性に問題があるほか、その診断の決定的要因となった原告の中島に対する態度に被害妄想の存在が認定できないから、右診断の妥当性が疑われるものである。なお、多摩済生病院における原告に対する診療内容等には、その他原告を精神分裂病であると断定する資料となるものは見い出すことができない。

(三)  その他原告が精神分裂病であると診断するに足りる事情の検討

(1) 〈証拠〉によれば、精神分裂病の診断は、その他の精神病の診断と同様、面接時に確認された症状のみに基づいて行われるのではなく、それらの症状の発現起点からの推移を生活史の中に読み取り、また、病前性格、病前の社会適応度、家族内遺伝負因、発病前情況、発病誘発因子の関与の有無など、全体的な時間的経過軸の中で考慮し、多元的に行われているのが一般的であることが認められる。

そうすると、原告の既往歴は、原告の現在症状を判断する上で重要性を有し、これまで検討したように現在症状及びそれに連なる若干の既往歴等だけでは、原告を精神病者ないし精神分裂病者とみることに疑問があっても、他の既往歴によっては、その疑問が払拭されるということも全くないとはいえない。

(2) そこで、原告の既往歴を検討する。

これまでに認定した事実に、〈証拠〉を総合すると、以下の事実が認められる。

① 原告の家族関係

原告は、昭和二三年五月一四日、父貢、母トシの長男として出生し、三歳年下の弟がいる、父親は神経質で物事を気にする性格の人であったが、家族の中に精神病者と診断された者はいない。

② 原告の生活史

原告は、小学校を卒業するまでは順調に育ったが、その間父親が勤める会社が倒産し、恵まれた住環境から引っ越しを余儀なくされ、小学校を二回転校している。原告は弟に比べ学力的に劣り、なにかと比較され、両親も原告につらく当たることが多かった。中学二年生の終わりころから学校を休みがちになり、同三年生のときは学校を休むことが多かった。右のような原告の状態について原告と両親との間にしばしばいさかいが生じ、喧嘩になることもあった。父親は、原告と同居することを避け、昭和四一年ころ一人で実家に戻り、別居するようになった。

原告は、学力的に進学が無理な状況にあったことから、高校に進学せず、母親が捜してきた時計の文字板製造会社に就職した。しかし、友達や弟が学校にいっているのに、自分一人働いていることに差別を感じ、また将来についての展望を持っていなかったことから、仕事は長続きせず、以後転職を繰り返した。原告が昭和四〇年ころ仕事に就かず、家でブラブラしていたところ、母親から口うるさく仕事に就くよう小言を言われ、たびたび家族、特に母親との間にもめ事が生じた。母親は、右のような原告の状態をノイローゼであると心配し、母親の考えによって、原告は多摩済生病院に第一回入院をすることになった。

原告は、昭和四三年三月二三日、職業訓練所に入所するために同病院を退院したが、学力が追い付かず、途中退所し、アルバイト先を自分で捜して、バネの製造工場、プレス工場、自動車部品製造工場、鉄工所等の期間工やクリーニング店店員、運送店の運転助手等の職に就いた。昭和四八年一〇月ころ、鉄工所に勤めていた時、右手の甲を骨折し、自宅で療養していた。そのころ、原告と原告宅の隣に住んでいた中島との間に前記(二)の(3)の④の(イ)で認定したいさかいが生じた。原告と中島との仲は次第に険悪になっていったが、中島の非を家族や近所の人に認めてもらえず、家族の中では特に母親が原告に対し一方的に忍従、我慢を強い、近所では原告が精神病であるとの噂が立てられた。原告は、このような家族、近所の人の態度に立腹し、世間体だけを考えて原告だけを押さえようとする家族に対しては暴力を振るうことが度々あった。

原告は、昭和四九年一二月三〇日、第二回入院をしたが、昭和五〇年一月六日、脱院し、そのまま帰院することなく、同月一四日、退院手続をとった。原告は、同月二六日、家族に対して暴力を振るったことから母親に一一〇番通報され、そのまま第三回入院をした。原告は、同年三月ころ、担当医の小松医師に対して退院の許可を求めたが、同医師は母親の同意がないことを理由に認めなかった。原告は、同年の夏ころ、外泊を許可され、実家に戻っていたとき、無理やり入院させられたことや、病院内での処遇に腹を立てていたことが、入院の原因にもなった中島に対する怒りとして強まったこともあった。原告は、第三回入院中、二回脱院し、同年九月四日に二回目の脱院をしたとき、祖母から母親を説得してもらい、退院手続をとってもらうことができた。

原告は、退院後、一時大阪で日雇いの仕事に就いたこともあったが、昭和五二年ころから一年間は仕事に就かないままであった。原告の家族は、父親が昭和四一年ころから別居していたが、弟は大学に入ったころ、母親は昭和五三年四月ころ、それぞれ家を出て原告と別居した。原告は、一人になり、将来の生活を考える必要に迫られ、継続できる職業としてその当時興味を持っていた自動車の運転関係の仕事に就くことを考え、同年九月ころ自動車教習所に通い、昭和五四年一月二三日本件免許を取得した。そして、原告は、昭和五五年一月ころ、有限会社共栄で自動車陸送の下請けを始め、引き続き同年九月に右会社から独立した三田伸一が経営する有限会社伸興で自動車陸送の専属請負という形で陸送業務に従事し、右仕事は本件処分がされて運転免許を失うまで約二年間続いた。その間、右各会社の社員及び顧客における原告の評判は良く、三田伸一から見ても、原告の働きぶりは信頼が置けるものであった。

第三回入院から退院後、中島は昭和五三年八月ころ板橋区に転居した。原告と近所の人との間には、新しく隣家に入居した山田幹夫との間にゴミの処理の問題で対立があったり、近所で原告が精神病であるとの趣旨の噂があったが、昭和五五年一一月一六日石神井署において近隣居住者との間で話し合いをし、今後仲良く生活していくことを約束してからは、問題となる事態は起こっていない。また、原告は、本件処分後の昭和五六年に現住所に転居し、生活保護を受けて生活しているが、転居後、近隣居住者との間で問題として取り上げるような事態は生じていない。

③ 多摩済生病院以外の精神科医師の受診結果

原告は、昭和五〇年一一月ころ、精神分裂病でない旨の診断書を書いてもらうべく上野医師を訪ねているが、その時は同医師からそのような診断書は書けないと断られている。

原告は、本件処分後の昭和五六年七月、本件処分を争うため再度上野医師を訪ね、同医師の診察を受けた。上野医師は、同年一二月二日までの間に六ないし七回にわたり問診を行い、トシからも事情を聞いて診察したところ、右診察当時の原告には、自我障害、思考阻害、その他精神分裂病の病的体験を認めることができず、意思疎通性、感情表出、応対も自然であり、原告が精神分裂病者であるとは認められなかった。

原告は、当裁判所の鑑定人逸見医師の診察を受けたが、その当時の原告には、精神分裂病者に特徴的に見られる硬さや冷たさは感じられず、ぎこちなさもなく、自然に対応したことから、逸見医師は原告には人格崩壊はなく、現実状態として精神分裂病を発病しているとは認めなかった。しかし、右鑑定時において弟に対する被害的な観念を訴えることがあり、また、訂正が著しく困難な曲解の癖があることが認められたほか、神秘的思考、関係念慮、社会的に孤立した生活、繰り返される妄想様観念、舌足らずな説明、向かい合った際の親近感の乏しさ、凝り深く、不安感が強く、他人が自分を見る目を気にする、といった人格障害者の示す特徴が認められたことから、逸見医師は、原告を分裂型人格障害と診断した。

④ 原告の自動車運転に係る事故歴、違反歴

原告は、本件運転免許取得後本件処分までの約二年の間に交通事故を起こしたことはなかったが、昭和五四年九月中に初心者遵守事項違反、免許条件違反、信号違反(赤色等)事由が、同年一二月に駐停車違反事由があり、昭和五五年二月六日、三〇日の免許停止処分(講習により二八日間短縮)を受け、同年二月中に駐停車違反、指定横断禁止場所横断の違反事由が、同年四月に速度違反事由があり、同年六月二三日、一二〇日の免許停止処分(講習により六〇日間短縮)を受け、同年九月中に夜間八時間駐車違反、速度違反事由が、昭和五六年二月に通行禁止場所通行違反事由があり、同年五月一八日、九〇日の免許停止処分を受けている。

以上の認定を覆すに足りる証拠はない。

(3) 〈証拠〉によれば、精神分裂病については、決定的な生物学的診断根拠が認められる場合を除くと、普遍的な診断が行われ得る科学的に立証された操作的診断基準は確立されていないこと、精神分裂病は精神医学の臨床上多く見られる疾患の一つであるが、典型的な例を除外すると、叙述的な診断基準を用いる限り臨床家の間にかなりの診断の幅が生ずる疾患であること、精神病の診断分類基準であるICD―9やDSM―Ⅲも、世界的に承認され、確立された分類基準ではなく、さらに改定作業が行われているものであることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定のように、精神分裂病の概念、分類については、世界的に確立した基準というものがなく、個々の精神医学者のよって立つ診断基準により、診断あるいは鑑別に相違が生じることは避けられない状況にあるといえる。

しかし、右(2)で認定の原告の既住歴中に明らかに精神分裂病の病的体験と認められる事態は認めることができず(なお、清水及び中島に対する行動については、それが被害妄想に基づくものであると認め難いことは前記(二)の(3)で判示したとおりである。)、本件証拠中の医学関係書(〈証拠〉)に記述されている精神分裂病者に特有の精神状態に該当する原告の状態像を拾い出すこともできない。

なお、鑑定の結果によれば、原告には訂正が著しく困難な曲解の癖があることが認められるが、先に認定した清水及び中島に対する関係付けと同様に、現実との意味関連性が認められなくはないことから、これを真正妄想と断定することはできず、前掲甲第三号証の臨時適性検査で行った心理検査の簡易診断表の備考欄によれば、原告は環境刺激に対する反応性が高い様であり、やや統制力が弱いものの、悪い徴候は見られないことが認められ、右原告の癖は、普通人以上に過敏な感覚を有しているという性格傾向として説明することも可能なものである。また、弟に対する被害的な観念は鑑定の際に初めて問題とされるに至ったものであるが、それまで弟に対する被害妄想は格別取り上げられておらず、証人糸川トシの証言及び原告本人尋門の結果中にも、原告の弟に対する異常な行為があった事実は現れておらず、右の観念が精神分裂病の病的体験に関わる事情であると認めることはできない。

(4)  以上の検討によれば、清水医師が原告を精神分裂病と診断する資料とした警察官の報告書及び問診の結果は、いずれもそれを診断の主要な資料とすることは不適当であると認められ、小松回答書の基となる多摩済生病院の診療録及び診断によっても、原告を精神分裂病者と断定することはできず、これらを資料として判断された本件診断は妥当性に欠け、これを採用することはできない。その他、原告の既住歴中に原告を精神分裂病者であると判断するに足りる事情は認められない。

4  原告の法八八条一項二号の精神病者該当性

原告が精神医学上の精神分裂病者であると認められないことは右3の認定のとおりであり、原告が精神医学上のその他の精神病者であることについては主張も立証もない。

そうすると、精神医学上の精神病者を前提にするものと解される法八八条一項二号の精神病者に原告が該当しないことは、その余の争点につき判断するまでもなく明らかであるというべきである。

5  まとめ

以上によれば、原告は法八八条一項二号の精神病者であることを理由とする本件処分は、根拠を欠く瑕疵があるものであって、取り消しを免れない。

二損害賠償請求について

1  〈証拠〉によれば、被告委員会が本件処分を行った経過は、被告らの主張1の(一)(本件処分の経緯)に記載のとおりであることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2 ところで、本件処分には、これを取り消すべき瑕疵があることは右一で判示したとおりであるが、このことから本件処分に関わる公務員の行為が国家賠償法上当然に違法となるものではない。なぜなら、国家賠償法上の違法性は、公務員が具体的状況の下において職務上尽くすべき法的義務に違反したかどうかという観点から判断すべきものであり、したがって、行政処分がその根拠となる行政法規に定める実体的又は手続的な要件を客観的に欠缺しているかどうかという瑕疵判断とは、その判断基準を異にしているからである。

3  そこで、まず、清水医師あるいは被告委員会の委員が本件処分に関して職務上の法的義務に違反しているかどうかについて検討する。

(一)  清水医師について

(1) 清水医師が行った本件診察の状況は、前記一の3の(一)の(2)のとおりである。

法一〇四条四項の指定医が行う臨時適性検査は、被告委員会が個々の対象者について運転免許取消処分をすべきか否かの判断をするに必要な医学上の鑑定を行うものであると解される。そして、その検査の方法については法に特別の定めはなく、その方法は専ら指定医の裁量に委ねられているものと解するのが相当である。

精神病の診断については、前記一の3の(三)の(1)で述べたような方法によることが一般的であると解されるが、精神病者の運転免許取消処分に係る臨時適性検査の実施は、迅速性を旨とし、ある程度の大量的な処理になると考えられる行政処分に関わるものであるから、限られた時間で限られた資料に基づいて行われるべきものである。したがって、その検査に当たっては、被検査者に面接し、問診することは欠かすことができないが、一般的には、指定医が比較的迅速かつ容易に収集することができる範囲内のもので、診断に必要なものを収集すれば足りるものというべきである。そうすると、原告の臨時適性検査において、清水医師が警察官の報告書、本件診察の結果及び小松回答書を資料として診断を下したことは、不相当であると断ずるわけにはいかない。

(2) ところで、本件処分が瑕疵を有するとされた理由は、前記一で述べたとおりであるが、要するに、清水医師が採用した資料が客観的に見ると正確性を欠くなどの点から、原告が精神分裂病であるとの清水医師の診断を支えるに十分でないということにある。

しかしながら、清水医師がその診断に当たり採用した資料のうち、警察官の報告書と小松回答書については、前者は警察官が職務上作成したものであって、しかも、問診の際、その内容を確認する質問に対して、原告がある程度の理由を挙げてその存在を否定する答えをしたのであればともかく、何らの応答もしなかったのであり、また、後者は精神科医である小松医師が警察官の照会に答えたものであるから、実際には右各資料の内容に多くの疑問があったのであるが、清水医師がその資料の内容は一応正しいと考えてしまったとしても、臨時適性検査という職務の性質に照らせば、職務上の法的義務に違反したものとまではいえない。そして、警察官の報告書については、証人上野豪志及び同逸見武光の各証言によれば、警察官の報告書に記載された事項を前提とすれば、原告に病的体験が存在することを疑わせるものであることが認められるのであり、また、小松回答書についても、証人逸見武光の証言によれば、第一回入院時の原告の状態が診療録に記載されているとおりであれば、精神分裂病と診断することも必ずしも間違いではないといえること、原告には著しく訂正が困難な曲解の癖があるが、これによる曲解の状態にある原告に真正妄想を認める医師がいても不思議ではないことが認められるのであるから、清水医師が右各資料を診断の基礎資料としたことは不相当であるということはできない。

(3) 次に、清水医師が本件診察に臨む原告の認識を誤解していたことについては、精神科医としてやはり落度とみるべきであろうが、本件についていえば、清水医師は、問診において原告のほとんど応答をしない態度により積極的な資料は得られず、自己の誤った認識や原告の認識の誤解がなかったとしても、判断の基礎となる事実につき若干異なった角度からの推測ができたというだけともいえるのであり、また、警察官の報告書及び小松回答書を併せ判断すれば、原告が精神分裂病であると診断することを必ずしも不相当とすることはできないことは、右(2)で述べたとおりであるから、右の落度は結果に影響を及ぼさないもので、これをもって、清水医師の診断を違法とする根拠とすることはできない。

(4) そうすると、清水医師は、同医師の診断を行うに当たりその職務上の法的義務に反したものとはいえず、同医師には国家賠償法上の違法はない。

(二)  被告委員会の委員について

(1) 原告は、被告委員会(委員)は、精神病の診断が住々にして誤ることがあるので、複数の医師に診断させるべきであったと主張する。

しかし、法は複数の指定医による診断を要求する規定を置いていないこと、精神保健法は、知事が精神障害者の入院措置をとる際に複数の精神保健指定医の診察を要する旨定めているが(同法二九条二項)、これは精神障害者が自傷し又は他人に害を及ぼすことを防止するため、同人を入院させ、その身柄を拘束する場合に要する手続であるところ、これと目的を異にする臨時適性検査における指定医の診断において同様の手続を履践しなければならないとはいえないこと、診断の誤りの可能性を根拠に複数の医師の診断を要するとの見解は、一般的に慎重な診断を行う必要があるという意味では採用できるが、迅速性、簡易性を損なうことになるから、同検査における指定医の診断において絶対に必要な手続であるとは考えるべきではないこと等を考え合わせると、一人の指定医に診断させるか、複数の指定医に診断させるかは、被告委員会ないし同委員の裁量に属するといってよく、本件に現れた諸事情に照らすと、被告委員会ないしその委員に裁量権の逸脱、濫用があるとはいえない。

(2) 原告は、被告委員会(委員)が清水医師の診断の経緯、根拠を調査するなどの診断結果の正否の検討を怠った点を指摘している。

しかし、前記二の3の(一)の(1)に判示のとおり、指定医による臨時適性検査における診断は医学上の鑑定とみることができるものであるから、その診断の妥当性に疑いを持つべき特段の事情がない限り、これによるべきはむしろ当然であり、本件全証拠によるも、右特段の事情を認めるに足りない。

(3) 原告は、被告委員会(委員)が聴聞手続を経なかった点を指摘する。

しかし、右指定医の診断がある場合には、聴聞を行わないで運転免許を取り消すことができるとされているのである(法一〇四条四項)。右規定は、同項所定の事由があるときは、原則として聴聞を行うことを要しないとしたものであると解されるところ、本件の場合に、特に聴聞を行わねばならないとする例外かつ特殊な事情は、本件全証拠によるも認めることはできない。

(4) そうすると、被告委員会の委員は、本件処分を行うに当たり、職務上の法的義務に反したものとはいえず、同委員には国家賠償法上の違法はない。

4  まとめ

以上によれば、原告の損害賠償請求は、その余の争点につき判断するまでもなく理由がない。

三結語

よって、原告の本訴請求のうち、被告委員会に対する本件処分の取消請求は理由があるからこれを認容し、被告都に対する損害賠償請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官鈴木康之 裁判官佐藤道明 裁判官青野洋士)

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